英語教育について

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先日、英語圏の人を富士山頂まで案内する機会に恵まれた。
勿論授業以外にこれといった英語学習をしたわけではない 僕にとってはじめての外国人との会話である。決して完全 な安全が約束されていない登山故、若干心配ではあったが、 最後は体を張って彼を守るつもりで引き受けることにした。

彼とは最低限必要な会話が交わせれば、と思っていたが、 実際に彼と会ってみて、言葉に詰まる部分もあったが、富 士山のなりたちや植生の特異性、母国での山登りのこと、 温泉やそばのこと、ジョークまで交えて話をすることがで きた。
改めて言う。僕は授業以外の英語学習はしていない。まが りなりにも大学を出た人なら、潜在的には充分外国人と会 話がなりたつはずだ。
彼との会話は、3分の1はジェスチャーであり、もう3分 の1は単語を並べただけであり、残りの3分の1は多くと も5〜6個の単語から構成される文であった。それでも彼 とは充分会話がなりたった。

そんなに英語とは難しいものだろうか。
もし、僕が断っていたとしたら、ツアーに参加するにも英 語のみでは難しい国故、きっと彼は富士山を見ることもな く母国へ帰ったはずだ。

昨今、英語教育の改革が叫ばれているが、日本人の英語に 足りないものは、英語教育ではなく、理解し、理解しても らうことに対する熱意なのではないだろうか。
なぜ彼等はちょっと道を尋ねられただけで逃げ惑うのか。 ただの道案内など、英語以前に指で方角を指示すればおし まいではないか。

僕は富士山に関するインターネットサイトを毎日チェック しており、その中には英語での発言も含まれている。日本 人として、彼等に富士山のことを理解してもらいたくて、 ほとんど単語を並べただけの返事を何度か書いた。volcano やJapanese character,accending routeといった実に単純 な単語さえ辞書をひきながら、彼等の書く流れるような文 章とは対照的な拙文を。
彼等は、それに対してちゃんと理解しやすい文章を書いて くれる。そうかこんな表現もあったのか、と感じる度に私 の英語は磨かれていった。
多くの日本人は、英語であるということだけを理由に読み 飛ばしたりしてはいないだろうか。そして、「案内する機 会に恵まれた」と言えるだろうか。

そして、後に彼から手加減なしの英語で返事がきた。僕の 受験英語は完全に認められたのだ。
(2000.8)
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最終更新日:
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