僕がフィルムカメラを使い続けるワケ・

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一昔前は「デジカメ」といったが、昨今はカメラといえば デジカメを指し、フィルムカメラは「フィルム」ないしは 「銀塩」と前置詞をつけて呼ばなければいけない時代となっ た。世間で使われるカメラも急速にデジタルに置き換わる ようになった時代に、僕はフィルムのカメラを1台買い増 した。

僕のカメラ遍歴は、かなり紆余曲折がある。98年頃は熱 心にやっていたが、デジタルへ行ったりフィルムに戻った りしながら、その後しばらくカメラをやめていた時期があ る。ホームページを持っているから写真は撮らないといけ ないが、超小型の三脚座さえ切ってない、露出補正もWB 補正もできない、とても画質云々を論ずることが不可能な コンパクトデジカメだけを使うようにしていた。その後、 病床に入りカメラどころではなくなった。

98年頃は比較的給料も出ていたので羽振りがよかった。 いくつかカメラを買い換えたが、その時出会ったのが中判 の645Nだった。いろいろカメラをとっかえひっかえし たが、不思議とこれだけは手放す気にはなれなかった。勿 論、その理由は買うときに大枚をはたいた、収入の減った 今、手放したらもう買うことのできないカメラ、というの が大きい。

比較的デジタル化の早かった35ミリ判に比べ、中判のデ ジタル化は遅れた。いや、遅れたというよりも、ほとんど 進んでないといっていい。今日現在ペンタックスからは中 判のデジタルカメラは出る気配がない。
35ミリ判のカメラと、現在のデジタル一眼レフは、画質 的にいえば、普通の人にはほとんど見分けがつかないとこ ろまできた。きたが、あいにく僕は35ミリ判のカメラは デジタルと病気とカメラ倦怠のはざまで全部手放してしまっ た。僕のところに最後まで残ったフィルムカメラは、たま たま中判だったのである。

もし、僕の持っていた機材が35ミリだったら、いちはや く売ってデジイチに乗り換えていただろう。ところが、僕 が最後まで持っていた機材は中判だった。10年使って手 になじみ愛着もある機械。使ってない期間は非常に長かっ たがデジタルで復活するときにもこの機械は手放さなかった。

今のところ、デジタルカメラの画質は35ミリのフィルム カメラには追いついていないし、中判サイズだったら画質 の違いを見てわかる人はもっと増えるはずだ。フィルムを 透かしてみたときのキラキラは、今のところデジタルでは 味わうことができないといえる。
僕らの求める画質に到達するには、デジタルカメラで一式 そろえると今のところ200万は最低出さないといけない。 今、現像とフィルム代で、月に1万5千円〜2万円くらい。 3年くらいで償却と考えれば金額的にもペイしないし、そ んな高額なカメラを買っても、僕らの使い方ではガケ下や 水中に転がしてしまうかもしれない。盗難の可能性もある し、置き忘れもやったことがある。今のカメラだって恐れ おおいのに、1桁高いカメラなど怖くて使えない。

デジカメでは、低温下であっという間にバッテリが終了し てひどい目にあったことがある。僕らはマイナス20度近 い世界で写真を撮ることもあるし、この温度下では正直今 のところデジカメの信頼性はかなりあやしいと思っている。

僕は目に見えないバーチャルのものは怖いのである。デジ タルモノの扱いがよくないわけではなく、僕は小学校の時 代からずっとパソコンは使ってる。使って、いろいろプロ グラムを組んだり、フォーマットの移り変わりや、一瞬で 消失するデータを見てきて、カタチになってないものは信 用できないと感じている。カタチになっているフィルムが ないと怖いし、デジタルも結局プリントが一番のデータ保 護だということに気づいた。同じ理由で、僕は音楽CDを まだ使い続けている。音楽はデジタルで買って消費するた ぐいの代物ではないと思っている。

そして、一番大きいのは、画質云々ではなくて、ボケ味が 違う。デジタルカメラよりも35ミリのフィルムカメラの 方が間違いなくボケ味はいいし、レンズの換算焦点距離が 3倍近く違う中判は、フィルムカメラ同士でも比較になら ないボケの世界があるといっていい。



子供を撮るのに、中判でも極上のボケが味わえる名玉とい われている150mmF2.8を購入した。出費には少し目をつぶっ て、最高の機材でカタチのあるものを残してやろうと思っ ている。

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最終更新日:
山旅メーリングリスト - www.tozan.org

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